ファンティアの有料会員向けに、大昔の実話をアップしました。
前半部分が読めるお試し版も用意しましたけど、今月末で読めなくなるので、こっちにもアップしておきます。
私が10代の頃の、怪談もどきです。まあ、多分、実際にはなにかしらの悪戯だったんでは、と思う一方、どこか釈然としない部分もある経験です。
ほぼノンフィクション(ほぼ、なのは、昔すぎて記憶に一部自信ないため)のため、特にオチはないです。怖くもないです。ぶっちゃけ、自己満足で書きました。
文庫換算で24ページくらい。
前半部分が読めるお試し版も用意しましたけど、今月末で読めなくなるので、こっちにもアップしておきます。
私が10代の頃の、怪談もどきです。まあ、多分、実際にはなにかしらの悪戯だったんでは、と思う一方、どこか釈然としない部分もある経験です。
ほぼノンフィクション(ほぼ、なのは、昔すぎて記憶に一部自信ないため)のため、特にオチはないです。怖くもないです。ぶっちゃけ、自己満足で書きました。
文庫換算で24ページくらい。
「ワケあり物件」(お試し版)
二十世紀。一九九〇年代。平成。つまりはそんな大昔、私はSという、各種イベントの設営や警備、清掃などを請け負う派遣会社でアルバイトをしていた。
「どうせなら、趣味と実益を兼ねたい」
オリオンズ時代からのロッテファンである私の狙いは、千葉マリンスタジアムでの仕事だった。実際、メインで派遣されるのはそこでの野球の試合だった。
楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、色々あったが、まあ、まだ十代の私にとっては、悪くない人生経験にはなったと思う。
当時、まだブレーク前だった伊良部秀輝投手の球がミットを叩く音は、いまだに私の耳に残っている。
さてこの仕事、派遣されるのは千葉マリンスタジアムだけではない。東京ドームや武道館、幕張メッセ、陸上競技場等の各種イベント会場で、野球・サッカー・コンサート・サーカス・フィギュアスケート・展示会、果ては某宗教団体の集会と、様々な場所に送り込まれた。
ある程度出勤を重ねると顔見知りもできてグループが形成されるのだが、私も例外ではなかった。
「おい青橋(注:もちろん、実際は本名で呼ばれていた)、仕事終わったらみんなでゲーセン行こうぜ」
「よーし、もう終電もなくなったし、みんな、俺の車で送ってくぜー」
「なあなあ、どっか寄ってくか?」
私が知らぬ間に取り込まれていたグループは、プライベートでも遊んだりするノリだった。当時の私はなかなかのコミュ障だったため、歳上や先輩の誘いを断るのは難しく、何度か流され、あちこちを連れ回されたりもした。
このグループはだいたい十数名だったように記憶している。
自分の母親より歳上の女性と同棲し、今度子供も産まれるからとバイト三昧だったイケメン。
将来は千葉県内の、かなり大きなお寺を継ぐことが決まっているが、まあ、絶対に檀家には知られちゃならない遊びばかりしていた女好きの先輩。
明らかにヤバいヤクをキめてるとしか思えないが、普段は面倒見のいい、リーダー的存在のパリピ。
他にも色々いたけれど、さすがにもう、顔も名前もほとんど思い出せない。が、この中の一人の伯父だか叔父が走り屋で、GT−Rの助手席に乗せられ、夜の首都高でとんでもないスピードを経験したことはよく覚えている。マジで死ぬかと思った。二百数十キロ出しながらよそ見すんなやおっさん!
「A先輩が、いわくつきマンションに引っ越したらしいぜ」
グループの誰かがそんな話題を出したのは、多分、秋、あるいは初冬くらいだったと思う。あ、でも、ちょっと季節に関しては記憶が怪しいかも。真夏ではなかったはず。
「なんだ、事故物件か?」
「ああ。自殺だか殺人事件だかがあった部屋だってよ」
これ書いてて思い出した。そうだ、誰かが引っ越したい、安いところないか、なんて話題のときのことだった。
「へえ。どこ? 何万?」
「M駅から徒歩数分。最上階の角部屋。月二万」
二万って書いたけど、ここの金額は正確には違ってたかもしれない。でも、相当に非常識な金額だったことは覚えてる。事故物件とはいえ、いくらなんでも安すぎるだろ、嘘じゃねえの、などと、みんなで騒いだくらいだから。
「なんだよ、そんなにぼろっちいのか?」
「いや、まあまあ新しいらしいぞ。ワンルーム、バス付き」
「通常の家賃は?」
「八万くらいじゃね?」
ここの数字も記憶が若干怪しい。ただ、件の部屋が、他と比べて半分どころか三分の一とか四分の一だったのは覚えている。日雇いバイトをしている我々が興味を持つほどのインパクトがある金額だったのは間違いない。
「なあ、その事故物件、みんなで見に行こうぜ」
「えー。ヤバくね? 俺、そういうの苦手なんだよ」
「大勢で、昼間に行けば平気だろ」
日本シリーズのチケット販売の列整理・警備だったか、はたまた別のイベントだったかは覚えてないが、東京方面での仕事が昼過ぎくらいに終わったあと、そんな流れになった。
正直、私はとっとと帰りたかったのだけど、F市の自宅まで車で送ってくれるというので、一緒についていくことにした。日当は交通費込みだったから、片道でも浮くのは大きいのだ。
(これ、フィクションだったら、冒頭で酷い目に遭う若者グループのフラグじゃん。やだなぁ、呪われたりしたら)
ムーの愛読者だった私は一瞬、ここは数百円をケチらず、空気も読まず、一人でも帰るべき、と考えた。が、ムーの愛読者であり、オカルト大好きであり、作家志望者でもあった私は、
(これ、チャンスだな。絶対に将来、ネタになる)
などとも企んでいた。
幸か不幸か自分には霊感がかけらもないとわかっていたので、怖いことには遭わないだろう、ただ顔も知らない先輩の自宅に押しかけ、そのまま帰るだけになるだろうと高を括っていたってのが、本当のところだ。
繰り返すが、私には霊感がない。これはもう、見事にない。
母が早逝したとき、恨み言でもいい、呪ってくれてもいいからもう一度会いたいと願ったときも、なにも起きなかったし、感じなかった。
なんとなく、おかしなもの、妙なものを見たことは何度かあるものの、ぞくぞくしたりとか、そういうのは一切ないので、ただの錯覚だったのかな、と判断している。
我々数名(五人くらいだったかな)を乗せたライトバンは一路、東京からM市を目指した。自分が後部座席に座っていて、みんなでバカ話をしていたってことは覚えているくせに、誰がいたかとか、名前とか全然思い出せないのが、なんか切ない。人の顔と名前覚えるの、いまだに苦手。
車が件のマンションに着いたのは、まだ夕方にもなってない時刻だった。本当にJRM駅の近くだったため車を駐められる場所がなく、少し離れたところから歩いて向かった。
「めっちゃ天気いいじゃん。快晴じゃん」
「さすがにこんだけ晴れてる真っ昼間に、おかしなことは起きんだろ」
先輩たち、完全にフラグ発言していたけれど、私も同じ感想だった。本当にいい天気だったなあ、というのは、私も覚えている。暑くはなかったから、やっぱり、秋だったのか。
問題のマンションは、まだ新しい感じの外観をしていた。J線の線路に面した(注:もしかしたら、線路が見えるだけ、だったかも。どちらにせよ、線路のすぐ近くだったはず)、そこそこの家賃はするであろう物件に見えた。
「ちーっす、先輩、まだ生きてますかー?」
「もう呪われてたりしてー」
四階くらいだっただろうか、最上階の、西側の角部屋に我々は押しかけた。引越祝いとかで、飲み物とかお菓子を誰かが買っていたような気もする。
私はこの部屋の住人である人物(若い男性。がっちりした、短髪の、体育会系っぽい人だった)とはまったく面識がなく、相当に居心地が悪かった。今と違い、挨拶すら苦手だったのよ、当時の私は。
玄関を入ると、まあまあ広い部屋が目に飛び込んできた。驚くくらいにモノがなかったから、余計に広く感じたのかもしれない。部屋の隅に畳まれた布団と、あとはちゃぶ台かなにかと、ダンボール箱が置かれていただけだったと記憶している。
「あれ、荷物、こんだけっすか?」
「ああ、まずは必要最低限のものだけ持ってきた」
「で、幽霊とか出ました?」
「んにゃ、特には」
「なんだ、つまんねー。せっかく見学に来たのに。……げっ!」
誰かが声を上げた。なにかを見つけたらしく、一点を見ている。
家主とは初対面かつメンバー最年少で新入りの私は一番最後に入室したので、「それ」に気付いたのも、一番最後となった。
(映画みたいだ)
「それ」を見た際の第一印象は、そんな感情だった。玄関から見て右、方角で言うと東側の壁一面に、黒い染みが広範囲に広がっていたのだ。ホラーとかサスペンス映画でよく見る、血の跡をイメージしてもらえると、だいたい正解だと思う。
大人になった今ならば
「おいおい、こんな状態で貸し出すか? 壁紙、張り替えろよ」
って疑問が先に来るだろうが、当時は、
「おー、すっげー」
などと感じていた。と同時に、これが本物の血なのかわからなくて、単純に戸惑っていた。だって、大量の血痕なんてそうそう見ないし。たまにアスファルトで見るくらいだし。
「これ、血の跡っすか?」
「なになに、ここ、殺人事件の現場なの!?」
「見ろよ、天井にもある!」
見上げると、確かに壁だけでなく、天井にもべっとりと黒い染みが確認できた。むしろ、天井のほうが面積的には大きかったかもしれない。
(頸動脈とか切られると、こんなふうになるのかも)
当時の私は本格ミステリ、新本格ミステリなどと呼ばれるものをメインに読んでいたので、即座にそんなことを考えた。
ああ、そうだ、幕張メッセでの仕事の休憩中、「姑獲鳥の夏」を読み進めていたっけ。分厚かったなぁ。重かったなぁ。
「なんか事件があったって話は聞いてる。詳しくは知らんが。一応これ、業者がクリーニングしたりしたんだってよ。でも、しばらく経つとまたこんなふうに染み出てくるって言ってたな」
家主は、なんでもないように言う。いくらワケあり物件とはいえ、さすがにこんな状態で貸し出すとは思えないから、この人が入居したときには綺麗だったんだろう。
「これ、先輩が俺たちを驚かそうと思って仕込んだんじゃないでしょうね?」
「バーカ。格安家賃を求めてきた貧乏人が、なんで敷金無駄にする真似すんだよ。そもそもお前らが来るって連絡してきたの、ついさっきだろうが」
あとで聞いた話だと、この先輩、ワケあり物件を転々としていたらしい。理由は知らない。今だったら、SNSや動画サイトで中継すれば、そこそこ盛り上がるんじゃなかろうか。
「管理人には言ったんだけどさ、『ああ、またか』って感じだったな」
「他にはなんかおかしなこと、起きてます?」
「いや、なんも。まあ、夜中にどたどた足音がするとか、話し声が聞こえるとか、蛇口から髪の毛とか赤い水が出てくる程度だな」
私を含め、恐らくは全員、彼が冗談を言っているのだと思った。だって、本当になんでもないって口調と表情だったし。
「怖くはねえけど、単純に迷惑だよな。これも管理人に苦情言って水道とか屋上調べてもらったんだがなー、特に問題なくってさー」
テンプレもここまで来ると、清々しい。当時、十代で世間知らずだった私ですらそんなふうに感じたくらいの、わかりやすいエピソードが続く。
「家賃が激安って、マジなんです?」
「おう」
部屋主が取り出したのは、この物件の間取りや家賃などを記した紙のコピーだった。不動産屋さんによく貼られているあれ。なんて呼ぶのか知らないけれど。
(あ。ホントだ)
私も見せてもらったが、確かに嘘みたいに数字が家賃の欄に記されていた。
もっとも、その気になればこの程度の紙は当時でも偽造はそう難しくないだろうから、本当にあの値段だったかはわからない。そもそも、家主がこんなものをわざわざ作る理由もなさそうだし。
「コーヒー飲みたいから、湯を沸かそうか。お前らも飲むだろ?」
「あ、俺がやります」
この中で一番下っ端だった私が、水を湧かす役目に立候補した。オカルト好きの血が騒ぎ、部屋の他の場所も見てみたくなったってのが本心だった。
(これが噂の蛇口か)
玄関のすぐ右側にあるシンクの前に立った私は、やかんに水を入れようとした。でも念のため、まずは水だけを流してみた。万が一、水道水以外のものが出たらやかんが汚れるな、なんて理由だったと思う。
(まあ、そんな、手垢のついた現象が俺の前で起きるわけないよな)
己の霊感のなさには自信があった私は、蛇口を捻った。すると、なんの予兆もなく、真っ赤な液体が出てきた。本当に一切の前触れもなく。
「っ!?」
これが血とは、さすがに考えなかった。錆だろうと思った。だから、このまま水を出し続ければ、すぐに透明な水になるはずだ、と。
このときの気持ちと光景は、今でもはっきりと覚えている。シンクに出てくる赤い液体は、そりゃ、インパクト強かったので。でも、特に匂いはしなかったと思う。多分。少なくとも、記憶にはない。
(げ。全然透明にならねえ。これ、マジでヤバくね?)
怖いというよりも、私がなにかやらかしたと疑われるのがイヤだと、誰かを呼ぼうとしたその瞬間、ぼとん、と黒い塊がシンクに落ちた。黒い、髪の毛の塊だった。
(お試し版はここまで)
二十世紀。一九九〇年代。平成。つまりはそんな大昔、私はSという、各種イベントの設営や警備、清掃などを請け負う派遣会社でアルバイトをしていた。
「どうせなら、趣味と実益を兼ねたい」
オリオンズ時代からのロッテファンである私の狙いは、千葉マリンスタジアムでの仕事だった。実際、メインで派遣されるのはそこでの野球の試合だった。
楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、色々あったが、まあ、まだ十代の私にとっては、悪くない人生経験にはなったと思う。
当時、まだブレーク前だった伊良部秀輝投手の球がミットを叩く音は、いまだに私の耳に残っている。
さてこの仕事、派遣されるのは千葉マリンスタジアムだけではない。東京ドームや武道館、幕張メッセ、陸上競技場等の各種イベント会場で、野球・サッカー・コンサート・サーカス・フィギュアスケート・展示会、果ては某宗教団体の集会と、様々な場所に送り込まれた。
ある程度出勤を重ねると顔見知りもできてグループが形成されるのだが、私も例外ではなかった。
「おい青橋(注:もちろん、実際は本名で呼ばれていた)、仕事終わったらみんなでゲーセン行こうぜ」
「よーし、もう終電もなくなったし、みんな、俺の車で送ってくぜー」
「なあなあ、どっか寄ってくか?」
私が知らぬ間に取り込まれていたグループは、プライベートでも遊んだりするノリだった。当時の私はなかなかのコミュ障だったため、歳上や先輩の誘いを断るのは難しく、何度か流され、あちこちを連れ回されたりもした。
このグループはだいたい十数名だったように記憶している。
自分の母親より歳上の女性と同棲し、今度子供も産まれるからとバイト三昧だったイケメン。
将来は千葉県内の、かなり大きなお寺を継ぐことが決まっているが、まあ、絶対に檀家には知られちゃならない遊びばかりしていた女好きの先輩。
明らかにヤバいヤクをキめてるとしか思えないが、普段は面倒見のいい、リーダー的存在のパリピ。
他にも色々いたけれど、さすがにもう、顔も名前もほとんど思い出せない。が、この中の一人の伯父だか叔父が走り屋で、GT−Rの助手席に乗せられ、夜の首都高でとんでもないスピードを経験したことはよく覚えている。マジで死ぬかと思った。二百数十キロ出しながらよそ見すんなやおっさん!
「A先輩が、いわくつきマンションに引っ越したらしいぜ」
グループの誰かがそんな話題を出したのは、多分、秋、あるいは初冬くらいだったと思う。あ、でも、ちょっと季節に関しては記憶が怪しいかも。真夏ではなかったはず。
「なんだ、事故物件か?」
「ああ。自殺だか殺人事件だかがあった部屋だってよ」
これ書いてて思い出した。そうだ、誰かが引っ越したい、安いところないか、なんて話題のときのことだった。
「へえ。どこ? 何万?」
「M駅から徒歩数分。最上階の角部屋。月二万」
二万って書いたけど、ここの金額は正確には違ってたかもしれない。でも、相当に非常識な金額だったことは覚えてる。事故物件とはいえ、いくらなんでも安すぎるだろ、嘘じゃねえの、などと、みんなで騒いだくらいだから。
「なんだよ、そんなにぼろっちいのか?」
「いや、まあまあ新しいらしいぞ。ワンルーム、バス付き」
「通常の家賃は?」
「八万くらいじゃね?」
ここの数字も記憶が若干怪しい。ただ、件の部屋が、他と比べて半分どころか三分の一とか四分の一だったのは覚えている。日雇いバイトをしている我々が興味を持つほどのインパクトがある金額だったのは間違いない。
「なあ、その事故物件、みんなで見に行こうぜ」
「えー。ヤバくね? 俺、そういうの苦手なんだよ」
「大勢で、昼間に行けば平気だろ」
日本シリーズのチケット販売の列整理・警備だったか、はたまた別のイベントだったかは覚えてないが、東京方面での仕事が昼過ぎくらいに終わったあと、そんな流れになった。
正直、私はとっとと帰りたかったのだけど、F市の自宅まで車で送ってくれるというので、一緒についていくことにした。日当は交通費込みだったから、片道でも浮くのは大きいのだ。
(これ、フィクションだったら、冒頭で酷い目に遭う若者グループのフラグじゃん。やだなぁ、呪われたりしたら)
ムーの愛読者だった私は一瞬、ここは数百円をケチらず、空気も読まず、一人でも帰るべき、と考えた。が、ムーの愛読者であり、オカルト大好きであり、作家志望者でもあった私は、
(これ、チャンスだな。絶対に将来、ネタになる)
などとも企んでいた。
幸か不幸か自分には霊感がかけらもないとわかっていたので、怖いことには遭わないだろう、ただ顔も知らない先輩の自宅に押しかけ、そのまま帰るだけになるだろうと高を括っていたってのが、本当のところだ。
繰り返すが、私には霊感がない。これはもう、見事にない。
母が早逝したとき、恨み言でもいい、呪ってくれてもいいからもう一度会いたいと願ったときも、なにも起きなかったし、感じなかった。
なんとなく、おかしなもの、妙なものを見たことは何度かあるものの、ぞくぞくしたりとか、そういうのは一切ないので、ただの錯覚だったのかな、と判断している。
我々数名(五人くらいだったかな)を乗せたライトバンは一路、東京からM市を目指した。自分が後部座席に座っていて、みんなでバカ話をしていたってことは覚えているくせに、誰がいたかとか、名前とか全然思い出せないのが、なんか切ない。人の顔と名前覚えるの、いまだに苦手。
車が件のマンションに着いたのは、まだ夕方にもなってない時刻だった。本当にJRM駅の近くだったため車を駐められる場所がなく、少し離れたところから歩いて向かった。
「めっちゃ天気いいじゃん。快晴じゃん」
「さすがにこんだけ晴れてる真っ昼間に、おかしなことは起きんだろ」
先輩たち、完全にフラグ発言していたけれど、私も同じ感想だった。本当にいい天気だったなあ、というのは、私も覚えている。暑くはなかったから、やっぱり、秋だったのか。
問題のマンションは、まだ新しい感じの外観をしていた。J線の線路に面した(注:もしかしたら、線路が見えるだけ、だったかも。どちらにせよ、線路のすぐ近くだったはず)、そこそこの家賃はするであろう物件に見えた。
「ちーっす、先輩、まだ生きてますかー?」
「もう呪われてたりしてー」
四階くらいだっただろうか、最上階の、西側の角部屋に我々は押しかけた。引越祝いとかで、飲み物とかお菓子を誰かが買っていたような気もする。
私はこの部屋の住人である人物(若い男性。がっちりした、短髪の、体育会系っぽい人だった)とはまったく面識がなく、相当に居心地が悪かった。今と違い、挨拶すら苦手だったのよ、当時の私は。
玄関を入ると、まあまあ広い部屋が目に飛び込んできた。驚くくらいにモノがなかったから、余計に広く感じたのかもしれない。部屋の隅に畳まれた布団と、あとはちゃぶ台かなにかと、ダンボール箱が置かれていただけだったと記憶している。
「あれ、荷物、こんだけっすか?」
「ああ、まずは必要最低限のものだけ持ってきた」
「で、幽霊とか出ました?」
「んにゃ、特には」
「なんだ、つまんねー。せっかく見学に来たのに。……げっ!」
誰かが声を上げた。なにかを見つけたらしく、一点を見ている。
家主とは初対面かつメンバー最年少で新入りの私は一番最後に入室したので、「それ」に気付いたのも、一番最後となった。
(映画みたいだ)
「それ」を見た際の第一印象は、そんな感情だった。玄関から見て右、方角で言うと東側の壁一面に、黒い染みが広範囲に広がっていたのだ。ホラーとかサスペンス映画でよく見る、血の跡をイメージしてもらえると、だいたい正解だと思う。
大人になった今ならば
「おいおい、こんな状態で貸し出すか? 壁紙、張り替えろよ」
って疑問が先に来るだろうが、当時は、
「おー、すっげー」
などと感じていた。と同時に、これが本物の血なのかわからなくて、単純に戸惑っていた。だって、大量の血痕なんてそうそう見ないし。たまにアスファルトで見るくらいだし。
「これ、血の跡っすか?」
「なになに、ここ、殺人事件の現場なの!?」
「見ろよ、天井にもある!」
見上げると、確かに壁だけでなく、天井にもべっとりと黒い染みが確認できた。むしろ、天井のほうが面積的には大きかったかもしれない。
(頸動脈とか切られると、こんなふうになるのかも)
当時の私は本格ミステリ、新本格ミステリなどと呼ばれるものをメインに読んでいたので、即座にそんなことを考えた。
ああ、そうだ、幕張メッセでの仕事の休憩中、「姑獲鳥の夏」を読み進めていたっけ。分厚かったなぁ。重かったなぁ。
「なんか事件があったって話は聞いてる。詳しくは知らんが。一応これ、業者がクリーニングしたりしたんだってよ。でも、しばらく経つとまたこんなふうに染み出てくるって言ってたな」
家主は、なんでもないように言う。いくらワケあり物件とはいえ、さすがにこんな状態で貸し出すとは思えないから、この人が入居したときには綺麗だったんだろう。
「これ、先輩が俺たちを驚かそうと思って仕込んだんじゃないでしょうね?」
「バーカ。格安家賃を求めてきた貧乏人が、なんで敷金無駄にする真似すんだよ。そもそもお前らが来るって連絡してきたの、ついさっきだろうが」
あとで聞いた話だと、この先輩、ワケあり物件を転々としていたらしい。理由は知らない。今だったら、SNSや動画サイトで中継すれば、そこそこ盛り上がるんじゃなかろうか。
「管理人には言ったんだけどさ、『ああ、またか』って感じだったな」
「他にはなんかおかしなこと、起きてます?」
「いや、なんも。まあ、夜中にどたどた足音がするとか、話し声が聞こえるとか、蛇口から髪の毛とか赤い水が出てくる程度だな」
私を含め、恐らくは全員、彼が冗談を言っているのだと思った。だって、本当になんでもないって口調と表情だったし。
「怖くはねえけど、単純に迷惑だよな。これも管理人に苦情言って水道とか屋上調べてもらったんだがなー、特に問題なくってさー」
テンプレもここまで来ると、清々しい。当時、十代で世間知らずだった私ですらそんなふうに感じたくらいの、わかりやすいエピソードが続く。
「家賃が激安って、マジなんです?」
「おう」
部屋主が取り出したのは、この物件の間取りや家賃などを記した紙のコピーだった。不動産屋さんによく貼られているあれ。なんて呼ぶのか知らないけれど。
(あ。ホントだ)
私も見せてもらったが、確かに嘘みたいに数字が家賃の欄に記されていた。
もっとも、その気になればこの程度の紙は当時でも偽造はそう難しくないだろうから、本当にあの値段だったかはわからない。そもそも、家主がこんなものをわざわざ作る理由もなさそうだし。
「コーヒー飲みたいから、湯を沸かそうか。お前らも飲むだろ?」
「あ、俺がやります」
この中で一番下っ端だった私が、水を湧かす役目に立候補した。オカルト好きの血が騒ぎ、部屋の他の場所も見てみたくなったってのが本心だった。
(これが噂の蛇口か)
玄関のすぐ右側にあるシンクの前に立った私は、やかんに水を入れようとした。でも念のため、まずは水だけを流してみた。万が一、水道水以外のものが出たらやかんが汚れるな、なんて理由だったと思う。
(まあ、そんな、手垢のついた現象が俺の前で起きるわけないよな)
己の霊感のなさには自信があった私は、蛇口を捻った。すると、なんの予兆もなく、真っ赤な液体が出てきた。本当に一切の前触れもなく。
「っ!?」
これが血とは、さすがに考えなかった。錆だろうと思った。だから、このまま水を出し続ければ、すぐに透明な水になるはずだ、と。
このときの気持ちと光景は、今でもはっきりと覚えている。シンクに出てくる赤い液体は、そりゃ、インパクト強かったので。でも、特に匂いはしなかったと思う。多分。少なくとも、記憶にはない。
(げ。全然透明にならねえ。これ、マジでヤバくね?)
怖いというよりも、私がなにかやらかしたと疑われるのがイヤだと、誰かを呼ぼうとしたその瞬間、ぼとん、と黒い塊がシンクに落ちた。黒い、髪の毛の塊だった。
(お試し版はここまで)
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